スポーツに見る結果論と、その是非とはプロスポーツが何年かに一度必ず
問題になったりするのであるが
近年朝青龍、タートル親子などなど
様々なスポーツ界に問題が起きていることもあり、改めて注目される状況になっている。
特にタートル親子に関しては
先日までのメディアの好意的な声が嘘のように一斉に集中砲火を浴びている現状である。
さて、もちろんプロである以上「勝利」という結果が一番大事になるわけであるが
今回のタートル問題に関しては
勝負の部分以外のいわゆるパフォーマンスの部分が問題になっている。
タートル親子は今まで散々日本従来の礼儀とか序列とかを無視して
自分が一番というスタイルを貫いてきており、
そのスタイルが受け入れられていたからこそメディアも彼らを注目し、応援していた。
だが、そのスタイルを受け入れたのではなくメディアは強い彼らを認めたのだ。
強いから、勝つからその姿勢を許し、受け入れたのであって、その全てを認めていたわけではなかった。
タートル親子にとって最大の誤算だったのは
「自分達が社会的地位を獲得した」のではなく、
実は「勝っている自分達が社会的地位を獲得していた」という事である。
つまり
大衆にとっては勝っているから認めているだけであり、
勝たなくなったタートル親子を認めているというわけでは決してない。という誤算がある。
結局その事を知らない(知っていても無視している)
タートル親子は負けた時点で追い込まれるのである。
僕はもちろん、このメディアの騒動はやりすぎだと思っているし、
自分達でさんざん煽っておいて負けた途端A級戦犯のような扱いをするメディアは決して好きではない。
だが、タートル親子にいえるのは
必ず這い上がってほしいという事である。
プロスポーツの厳しさと言うのを知っている彼らは必ず大きくなると信じている。
山王工業の監督堂本が湘北戦に負けた後に言ったセリフ
「這い上がろう。負けたことがあるというのが、いつか大きな財産になる。」
このセリフが今のタートル親子に最も必要な物ではないだろうか。
Friday, October 19, 2007
Monday, October 15, 2007
とある知り合いの記事を読み納得というか同じことを考えていたのだなと感じたので
こちらも少し思っていたことを記事にしてみようと思う。
人間には「想像力」というほかの動物にはない能力が古来から備わっていた。
それを追求したものがSF小説だったり、アニメだったりといったものである。
しかし、近年技術が発達したことにより
技術の発展のスピードに対して、人間の想像力の進化が追いついていないのではないか。
その最たる例が近年話題になっているSL(セカンドライフ)
である。
人間はかつて現実世界にない事を想像の世界において、自分たちの見たことのない世界
価値観を作り上げてきた。
日本にいればドラえもんやキテレツ大百科などといった
現実にはありえない道具をロボットという存在自体が未来型の人物を使うことで
その時代には出来ない、見られない物を漫画という世界を通して描いてきた。
しかし、
SL上においては、技術の発展がもたらした結果、
今度は想像の世界をより、現実に近づけるという試みが行われるようになった。
想像は発明の元である。
という格言があった気がするがその言葉が真であるならば、
この世界はもう発展しなくなってしまうのではないか。
そんな危機感すら覚えるのである。
もちろん全ての人が想像をやめているという訳ではないが、
現在の想像力の欠如がもっと大きな世の中に繋がってほしいという思いから
ふと感じたことをつれづれと書きました。
やはり、本を読んだりするのは一つにはもちろん自分の知識を増やすという思いはあるものの、
それ以上に大切なのは新しい世界への想像力を高めるという自分の中の想像力の素養を高める
というのもあるな。
と感じこのエントリーを終わります。
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