Friday, October 19, 2007

スポーツに見る結果論と、その是非とはプロスポーツが何年かに一度必ず
問題になったりするのであるが

近年朝青龍、タートル親子などなど

様々なスポーツ界に問題が起きていることもあり、改めて注目される状況になっている。
特にタートル親子に関しては

先日までのメディアの好意的な声が嘘のように一斉に集中砲火を浴びている現状である。
さて、もちろんプロである以上「勝利」という結果が一番大事になるわけであるが

今回のタートル問題に関しては

勝負の部分以外のいわゆるパフォーマンスの部分が問題になっている。

タートル親子は今まで散々日本従来の礼儀とか序列とかを無視して
自分が一番というスタイルを貫いてきており、
そのスタイルが受け入れられていたからこそメディアも彼らを注目し、応援していた。

だが、そのスタイルを受け入れたのではなくメディアは強い彼らを認めたのだ。
強いから、勝つからその姿勢を許し、受け入れたのであって、その全てを認めていたわけではなかった。

タートル親子にとって最大の誤算だったのは

「自分達が社会的地位を獲得した」のではなく、
実は「勝っている自分達が社会的地位を獲得していた」という事である。

つまり

大衆にとっては勝っているから認めているだけであり、
勝たなくなったタートル親子を認めているというわけでは決してない。という誤算がある。

結局その事を知らない(知っていても無視している)
タートル親子は負けた時点で追い込まれるのである。



僕はもちろん、このメディアの騒動はやりすぎだと思っているし、
自分達でさんざん煽っておいて負けた途端A級戦犯のような扱いをするメディアは決して好きではない。

だが、タートル親子にいえるのは
必ず這い上がってほしいという事である。
プロスポーツの厳しさと言うのを知っている彼らは必ず大きくなると信じている。

山王工業の監督堂本が湘北戦に負けた後に言ったセリフ
「這い上がろう。負けたことがあるというのが、いつか大きな財産になる。」


このセリフが今のタートル親子に最も必要な物ではないだろうか。